[PR]三井住友海上きらめき生命:医療保険のご案内と資料請求はこちらから


C:\My Documents\index\SPHERE10.GIFウガンダレポートC:\My Documents\index\SPHERE10.GIF

ウガンダから帰ってきて一ヶ月してから書いたものです。行った直後と言うのは自分の中で盛り上がっていて熱狂しすぎて冷静な判断が出来ないと思うけれど、これはそういう意味では冷却期間を置いているのでいいかなともおもいます。長いけど、どうぞ!!


1998年8月にフィリピンにワークキャンプで二週間行った時「次はアフリカに行きたいな。」と漠然と思った。何故アフリカなのか、特に理由はなかったように思う。ただ未知の国への興味と何か少しでも僕の力が役にたてるならという思いだけはあった。
2000年10月についにアフリカ大陸のウガンダに行くことになった訳だがその前に何回かAAAというNGOの顧問の山崎城之さんにお会いしてお話を伺った。その時、山崎さんに「なんでアフリカに行こうと思ったのですか?」と聞かれた。しかし、フィリピンから二年もたっていたが僕はまだ漠然としたものしか持ってなく、その質問にちゃんと答えることは出来なかった。僕はこの問題はウガンダの宿題にしようと思った。
10月3日に日本を出発した。これが初めての一人海外旅行だった。そしてトランジットも初めて。僕は高校時代、英語は苦手な科目だった。だから友達に「英語出来ないのによく行くね〜。」なんて言われたけれど、ウガンダに対する思いが大きすぎて僕の頭の中に不安が入ってくるスペースは殆どなかった。30時間の長旅を終えてエンテベについた時は「ついに来た。」という感動と共に「これから一ヶ月ボランティア生活が始まるんだ!」という自覚で気合いが入っていた。

C:\My Documents\index\SPHERE31.GIF僕の感じたウガンダ

ウガンダは涼しかった。そういう話しは行く前から聞いてはいたが経験してみなければ解からない。確かに日中は軽く汗ばむぐらいまで暑くなるが、ひとたび雨が降ると吐く息が白くなるぐらい気温が下がる。そして涼しいからといってシャツを脱いで上半身裸になっていたりすると二時間ぐらいで真っ赤になり水脹れが出来てしまったりする。日差しはやっぱりきついのだ。
またアフリカというと「貧しい!!」というイメージがある。フィリピンに行った時はマニラにはストリートチルドレンがあふれていて、僕が乗っていたタクシーに子ども達が怪我を覚悟で飛び乗ってきて「金をくれ。」とたかってきたりしていた。「フィリピンですらこんな状態なんだから、さぞウガンダは…。」と思って警戒していたが、意外や意外。たまに「金くれ。」って言ってくる人はいてもそんなに多くはなかった。理由としては土地が豊かで結構作物は栽培されているので、食べることだけだったらそんなに困ることはないという事とフィリピンほど経済が発展していないから首都に人口がそれ程集中してない(それでも首都カンパラはかなり栄えていて人もごった返していたが…)という事があげられると思う。
あと僕が気になったところは、街の看板やTV、ラジオで頻繁に「コンドーム」の宣伝をしていると言う事だ。まあ、まず日本ではありえない。それだけこの国ではファミリープランニングとエイズ予防に力を入れていると言う事だろう。ウガンダでは三人に一人の人がエイズに罹っているらしい。原因として情報不足と先進国に比べSEXに対し割とルーズな感覚であるからという事がいえるだろう。実際、僕らがカンパラにいる時にお世話になっていたキチョウさんの隣の一家には二十数人の子どもがいた。もちろん何人か奥さんがいるのだがウガンダは多妻制という訳ではないらしい。またウガンダでは沢山子どもを産める能力があるという事は評価されるそうだ。このへんの感覚は日本とは違うが、アフリカの中にはエイズに対し無策であったり、正確な情報を流さず国民に対し隠している国が存在する中で、ウガンダ政府はちゃんとエイズに対し警鐘を鳴らしているので、その点は非常に素晴らしいと思った。

C:\My Documents\index\SPHERE31.GIFボランティアをして悩んだこと

僕は今迄、大学生活の四年間で色々ボランティア活動をしてみた。冒頭で書いたようにフィリピンに行ったし他にも子ども達を山や湖またはスキーに連れていったりもしていた。
これらの活動には日程とプランがあり、それに沿って進められその期間が終わればそのボランティア活動も終わりとなるという物だった。
しかし、「ウガンダでの活動には終わりがないなあ。」と僕は感じていた。僕はたかだか一ヶ月働くだけだが、当然AAAは今後も活動を続けていくわけだし、現地人もそこで生活し続ける。
また例えチャート村がこのまま支援を受けて、もう十分という事になったとしても他にも困っている地域は腐るほどある。またウガンダだけでなく他のアフリカの国々、アジア、南米…と世界中を見渡せば同じように苦しんでいる所は数え切れない。一つの地域が終われば他の地域、そこが終わればまた別の…。という事になる。またいつまで支援し続けなければいけないのこというのも問題だ。NGOの活動がその地域の自立を目指すための物であるならば、いつかはその拠点を去らなければならない。しかし「ここまでやればもう十分。」という明確な物がないので「もう十分」の判断が難しい。多分この答えは出ないと思う。それでも「何かしなければ」何も変らないという事だけはハッキリしている。この問題がエンドレスであるならば、例え現地に行くことは出来なくとも日本で後方支援をエンドレスで続けていかなければならないと思う。

C:\My Documents\index\SPHERE31.GIF僕の感じた最も大きな違い

日本に帰ってきてしばらくの間は何か空虚な感じがしていた。「何だろうこの感じ?」とずっと考えていた。そしてある時ふとお茶を飲みたくなったので電気ジャーのボタンを押してお湯を出した時ふと気づいた。非常に楽なのである。ウガンダにいる時はお湯を飲むのに、まずポリタンクに入っている水(5〜6キロ先の井戸で汲んできたもの)をやかんに入れ沸かし、殺菌のため7〜8分沸騰しつづけさせた物を飲んでいた。しかし日本では蛇口の水をジャーに入れ、後は自動的に沸かしてくれるのでボタンを押すだけで安全なお湯が出てきてしまう。
日本は何でもスイッチ一つで出来てしまって、もちろん便利で快適ではあるけれども、その分何も考えないでも、なんとなく時間が過ぎていくので一日の密度が薄いような気がする。先進国の人は「生活」を毎日しているけれども、途上国の人は一日一日を「生きている」のではないかなと思う。「生活」と「生きる」って似ているけれども、それをするパワーは全然違っていて、それが先進国には無い途上国独特の雰囲気を醸し出しているのかなと思った。

C:\My Documents\index\SPHERE31.GIFウガンダを振り返って

なんで、僕はアフリカに行きたがっていたんだろう?って振り返って考えてみると、勿論「本当に困っている人たちの為に何か出来る事はないか?」という思いもあったが、それと同じくらいの割合で「未知の国への好奇心」と「そこで生活することによって何か得る物があるんじゃないか、成長できるんじゃないか。」という自分に対しての期待も確かにあった。日本にいるだけではどうしても「日本の考え方」に縛られて視野が狭くなってしまうが、ウガンダという遠くの国に行くことによって無意識の内に打開しようとしていたんじゃないかと思う。ボランティアを通していろんな人と出会い、話し、接することで沢山の事が学べたし、体験できた。僕が大学生活の間ボランティアを続けてこれたのもボランティアをする事で「自分が他人にとって大切な何かになっているんだ。」という実感といろんな体験をする事によって変っていく自分自身が感じられたからだと思う。ウガンダでの一ヶ月はテロ事件があったり、エボラ出血熱騒ぎがあったりでニュースの中の出来事が身近に起こり「マジかよ…。」って思う事もあったけれどもそういう一つ一つの経験が僕の血や肉になってくれると思う。やっぱり体験しなければ解からない!行くまではアフリカの事も殆ど知らず、ただアフリカといえばサバンナと野生動物のイメージしかなかった僕が長長とアフリカについて書いているのも体験してきたからでしょう。
素晴らしい体験をさせてくれたウガンダに感謝します。


  HOMEへ



[PR]ベビー用品はたまひよ♪:子育てが楽しくなる便利アイテムいっぱい